私自身がライターのイイタイコトをすべて理解できたとは言い難い点から、
なかなかにまとまらないお話になるかとは思いますがその辺はご了承ください。
まず、人を選ぶ作品であることは間違いないかと思います。
シナリオ中に哲学的思考が入ってくるため、
まずそういったものを受け付けられない人にはきついでしょう。
一般的な学園ものと呼ばれる作品と違い、
「萌え」を意識して作られていない感じもありました。
作中にそういった単語自体は出てきますが、
それがそのまま登場人物を指すかというとそうではない。
そして、そういった事柄の積み重ねで最後の最後に明かされる世界観。
それは、読者に考えさせるもの。
世の中には、私を含めてPCゲームをエンターテイメントとしてプレイする人が数多くいると思います。
それは間違ったことではないであろうし、否定することはできません。
実際、そういったゲームに対する需要があり、メーカー側も数多く供給しています。
ただ、この素晴らしき日々という作品は、
そういったエンターテイメントを度外視したものであると私は感じました。
シナリオライターが自己表現のための媒体として選んだもの。
それがこの素晴らしき日々という作品であると私は思います。
ですから単純にエンターテイメントとしてこのゲームを購入した人は、
全員が楽しめるというわけにはいかないだろうとも思います。
しかし、体験版という形で、多くの人に触れてもらえる状況を作っていることから、
この作品を少ない情報で無理に買わせるようなことはしていないのだと思います。
それはユーザーに対する誠意であり、
完全な商売目的の作品ではないことも意味しているでしょう。
・・・なんか論理が飛躍してたりしますが、感じてくれると幸いです。
まあそんな感じで、ずっとプレイしてきたわけですが。
この作品を他の作品と同列に評価していいとは思えないです。
そもそも、エンターテイメントとしての作品としての評価が、
このブログの今までのレビューの作品であり、
前述のとおり、立っている土俵が違うものを同列に評価することはできません。
本来作品というものは、
何かを理解してほしい、感じ取ってほしいという理念のもとに作られています。
そういった意味でからいけば、最近の多くの作品は
「萌え」「癒し」を感じ取ってほしいと思って書かれているのでしょうが・・・。
そういったものとはもっと別の、
それこそ本当の読み物としての作品であったと思う。
作中で出てくる哲学的思考などは、
どこかのサイトがきちんと説明してくれているでしょうから触れません。
それに、それぞれがその考えに対していろいろなこと思ったと思います。
考えは一つではないのだから、それは間違ってはいないでしょう・・・。
最後の最後、終の空のルートは賛否があるようですが、
作品の世界観の根幹であり、
またシナリオライターが必要と判断したからこそ入れたものでしょう。
それに対して必要ないというのははなはだナンセンスではないかと個人的には思います。
「幸福に生きよ」の先の物語がいつになるかはわかりませんが、
作るまでは仕事辞められないそうなので、期待して待つことにしましょう。
素晴らしき日々の先、それがどんなものなのか・・・。
またプレイには時間がかかってしまうでしょうが、
それでも一つの答えを探しに行きたいですね。
今日はこの辺で・・・。
それでは・・・・・・・・・・